病気の説明・総論2
精神病と神経症
こんかい、若干の補筆と修正を施しましたが、弊院開業時に「病気の説明」として「総論1」を書き、その時は
- 神経症
- 精神病(うつ病、躁鬱病、統合失調症)
- アルツハイマー病など認知症疾患
の心療内科・精神科外来における受診患者割合を、①4-5割、②2割以下、③3-4割と予想していました。
この数字は小医が、秋田県にある地域基幹の総合病院(山本組合総合病院。現、能代厚生医療センター)精神科に勤務していた時に、平成23年度1年間の外来初診患者495名を疾患別に分類したことがあったのですが、その統計に基づいていました。
しかし、ここ京都は中京からすま蛸薬師、御池通と四条通にはさまれた京都で最も繁華な地に診療所を設けてみると、上記予想が、まったくの的ハズレだったことは、平成29年度の診療実績からもあきらかです。
②と③を合わせてもたったの6%104名、くらべて①が82%1328名と突出しており、しかも、その半数が発達特性者と、診療の比重が、秋田時代に専ら診ていた高齢のアルツハイマー病から、現在は診療所に日々押し寄せる若年のAS/ADHD特性者へ一気にシフトしたのです。
これは小医にとって、非常に刺戟的な経験となりました。
開業時、小医は、将来の受診患者層をまったく「読めて」いなかったわけですが、おかげさまで、小医の精神科医としての能力は飛躍的に向上したと思います。精神医学をかんがえる視野が一気にひろがったことを感謝しています。
秋田にいた頃も、ときどき、広汎性発達障害のわかものが受診してきて、診察には慣れていたのですが、ときどきなので、点と点を結ぶ線状の把握にしか至らなかったものが、今や症例数が膨大なものですから、線の上に線を重ねて棒の如くなったものの上に棒を重ねて面状立体状の把握に至っています。秋田時代には不思議に思いつつも、よくつながらないできた謎が、ここに来てようやく「ほぼ全部つながった!」と感じています。
ここで、小医の精神科医としてのあゆみをふりかえってみたいと思います。
精神科医のキャリアは、統合失調症の治療経験から始まるものと私は理解してきました。ついで経験を躁鬱病や特にうつ病に広げていくのだろうと思います。
うつ病の診断は簡単ではないと今も思います。私はなんでもかんでも簡単に、医学用語でもない「うつ」の一言で済ませるDSM医ではなく、今も「内因性」概念を堅持すべきものと考え、「病前性格」もまた実在すると信じていますので。
アルツハイマー病の診療も、診察の「アート」を日々磨くうえで、また、人の生老病死をみつめる確かな目をつくりあげるうえで、たいせつな修養だったと思います。
しかし、いわゆる「病気」(上記②③)の治療は、治療抵抗性統合失調症にたいするクロザリル(クロザピン)など、ナルホド、この薬で効いた! とか、ヒラメキや工夫による面白い経験は、その後ときどきあっても、だいたい3,4年もあれば習熟してしまうので、飽きてしまいます。
その後に残されるのが、広大な「神経症」(上記①)の領域で、これを「所詮、人の生き死ににかかわる重大な病気ではないから」と考えれば、患者の話は「うるさいなあ」と訴えにまったく耳を貸さない医者となり、「どれどれ、妙な人があるものだなあ」と興味を起せば、にんげんの理解を深める医者となって、相わかれてゆくことになるのでしょう。
ここで想起すると興味深い話に「精神医学の基本問題」というものがあって、それが「精神病と神経症」という話です。
そもそも、「精神病」(上記②③)と「神経症」(上記①)は、研究・診療のあゆみ自体が、別系統なんですね。きわめて図式的に示します。
「精神病」 ドイツ医学 クレペリン、アルツハイマーの創始 人里離れたところに隔離された精神科大病院 狭義の精神病研究 脳の病気をあつかう
「神経症」 フランス医学 シャルコー、フロイトの創始 多数の人が自由に行き交うまちなかの小クリニック ヒステリー研究 心の悩みをあつかう
これまで精神科医は、医学的にハッキリ病気といえる病人(上記②③)だけを相手に診療してきたのだと思います。だから「神経症」(上記①)患者には邪険にするのが常でした。しかし、小医は、「神経症」患者にも、なんらかの「生物学的(医学的)基盤(根拠)」があるはずだと精神科医になったはじめからずっと考えてきました。
たとえば、パニックという不安発作を起こす人に少量の抗うつ薬(SSRI)を内服させたら、多数の人の前での緊張が緩和され、日常生活でも不安が軽減された実例をまえに、これを医学的にはどのように説明したらよいのでしょうか?
小医は「病気のカケラ」論という単純な仮説をひそかに考案したのです。
ツマリ、この人には「うつ病」の素因がたとえば20%ほどあって(だから「病気のカケラ」です)、投薬効果を見込める余地をもっていたのだと。
このアイデアは、統合失調症患者の家族を観察していて、思いついたものなんですね。
統合失調症患者の入院があった場合、その父親、母親とも面談することが慣例なのですが、両親も少し変った方が多いのです。また夫婦関係にもパタンがある場合が多く、両親とも面談してみて、本人の診断に一層確信がもてることが少なくありません。
統合失調症のあきらかな症状はありませんが、家族歴などからも、どこかその「影」を感じさせる人があり、こういう人にドグマチール(スルピリド)やジプレキサ(オランザピン)など少量の抗精神病薬を内服させると、ふあんが軽減するというのは、不安神経症(偽神経症性統合失調症)として、例を枚挙するに暇がありません。
この実例を医学的に説明する場合でも、上記「病気のカケラ」仮説は有効だと思います。
精神病と神経症の区別は堅持しつつ、上記のごとく、「神経症」のなかに「グレーゾーン」の病人を設定することは可能と思いますが、上記仮説のように、精神病の「ひゆ」を使って神経症を理解することには、おのづと限界があるようにみえます。いつからか流行している「II型双極性障害」とかいうアイデアも同様かと小医は見ています。
というのは、精神病の「ひゆ」では補足しきれない、もっと膨大な数の患者層が「神経症」の世界には広がっているからです。単にその人の「(変った)性格」ということでは済ませられないんじゃないかと本能的に思わせる「かわった人」(ただし精神病圏にある人とはみえない)が山ほど、それもある程度は類似性をもって、存在しているからです。
もっと根本的に、患者さんに対する見かたを転換しないと、何も見えてこないのではないかと秋田時代に、発想するきっかけとなった本が、長年、神経性食思不振症(摂食障害)患者の治療に東京の町医者としてあたっていた下坂幸三先生の本でした。医者となって初期の猛勉強以外に、夢中で読んだ本はこれが最後です。
世の中のおおかたの精神科医が精神病の治療ばかりに向かっていた時代に、この器質的原因はないという「奇妙な病」の診療に専念していた医者があったとは! 「患者の言動や症状にたいする正確な記述」ということにこれほど徹した医者があった事実に、小医は強い感銘を受けました。
そうして、わかものの多い中京の地で開業しましたら、ようやく広々とした視野がひらけてきたというわけです。笠原嘉先生が50年前に経験したこと(病気の説明・各論Student Apathyの項を参照)を追体験したような思いです。
医者のものの見方は、医者のおかれている地理的位置や診察する患者層で、強くバイアスがかかるのではないかと思います。
この一年余、京都の中京で診療をしてきた経験をひとことで言えといわれれば、「神経症の生物学的基盤とは、おそらく発達特性のことであり、ADHDをふくめて自閉症特性が見えなければ、町医者はできない」ということに尽きます。
適応障害をふくめ、いわゆる「うつ」、対人恐怖(社交不安)、パニック発作、心気症、ヒステリー、強迫症、不眠、パーソナリティの未熟性などは、その人の発達特性(AS/ADHD)を透かしてみると、一層理解が容易にすすむものと見えます。
京都のまちなかに来て、蒙をひらかれた小医は、もはや医者ではなく、この一年余で人相見(にんそうみ)に化けたのではないかとひそかに自らを嗤うことがあります。
参考文献
内村祐之『精神医学の基本問題 精神病と神経症の構造論の展望』(医学書院、1972年)
笠原嘉『精神科と私』(中山書店、2012年)
下坂幸三『拒食と過食の心理 治療者のまなざし』(岩波書店、1999年)
下坂幸三『アノレクシア・ネルヴォーザ論考』(金剛出版、1988年)
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