東京日本橋、三越百貨店の思ひ出。
といつて、大したものはないのだが、最近、京都大丸の店員のレベル低下を嘆いた序つひでに思ひ出したから、忘備に錄すのみ。
六代目川端近左の棗を購つたのが、平成25年(2013年)なので、お茶を習ひだす前年、平成24年(2012年)の夏に、私は、こゝを初めて訪れた計算になる。東京に游ぶときは、いつも私は三井記念美術館に寄つてゐた。東京では、着物人口の多いのが、この界隈とおのづと知られた。
「京都がある」のは、別段、京都現地に限られない。東京の日本橋、大阪の船場北浜にも「京都」がある。現地の京都は甚だガラ悪く、わたくしは、東京や大阪のほうがはるかに人品上等と結論してゐる。
三越百貨店の入口にはライオンがゐて、これはロンドン、トラファルガー広場のライオンを模したものだと仄聞そくぶんしてゐる。当時英国を視察した三越百貨店支配人、日比翁助は、三井財閥総帥、益田孝(鈍翁)の部下。高橋義雄(箒庵)は同僚である。鈍翁と箒庵は著名な茶人だが、翁助がどうであつたかは寡聞にして知らぬ。
三越百貨店に這入つたのは、扇子を需もとめるためであつた。売場は、浴衣がディスプレイされてあつたことを今に憶えてゐるから、着物売場であつた。照明は薄暗いわけではないが、現代日本人が大好きな蛍光灯が煌煌といふわけではなかつたことは慥かであつた。それだけでも、三越百貨店に気骨あることがおのづと知られる。ばあさんではないが、若いわけでもない、老婦人とよぶのが相応のすこし腰の曲がつた女性が、「これが、…いかゞでせうね?」とすゝめてくれた。宝尽しの図柄である。「いゝものですよ」。押付けがましいところは少しもなかつた。私の見立てゞは、あなたにはこれがぴつたりです。他にはどうも見当らないから、値段はするけれども、ぜひともこれになさいといふ感じであつた。店員の気持は直ちにわたくしに伝はつた。
商売をしてゐるのだけれども、商売気が丸でない。よく物のわかる親切な人がすゝめてくれるといふ感じであつた。「あとは、これもお買ひなさい」と、扇子を入れる袋まですゝめてきた。どうしようかな? 「よい裂きれですよ。今日び、なかなかありません」と云ふ。「持つてゐると、扇子が保ちますよ」と続く。「裂きれ」といふ言葉に、当時のわたくしはまだ馴染がなかつたが、光の具合で金色にひかる黄色織の扇子袋も、すゝめられるがまゝに買つた。ま、いゝか。結局、当初予算の3倍はした。しかし、なんと気分よく一年間、扇子を使ひつゞけることができたことであらう。真の贅沢のおぼえ始めのひとつである。
よい物を持つ。お金は多少かゝる。しかし他に代へ難い見識と満足とが与へられる。大袈裟にいふと、一段階にんげんが成長する。わたくしは不動産にだけは縁がこれまでないが、じぶんの口に入れるもの、手にふれるものだけは自分に可能な範囲で贅沢をしてきた心算である。
たゞこれだけのことなのだが、この時の記憶が忘れられない。数年後、京都に住むようになつて、こゝ以外に一流処はない筈の宮脇賣扇庵で、扇子袋を求めたら、化繊の安物しか置いてゐない。「何か特別の裂のものはないのか」と訊いても、店員は「裂きれ」の意味がわからない。なにが「お茶文化の隅隅まで浸透してゐる京都」だ。てきめん馬脚をあらはしたなと思ふと同時に、わたくしは、三越の女店員のことを思ひ出したものである。
その時は箸置も買つた。売場の店員は眼鏡にインテリ顔の温顔で、これも少し老いた感じは否めない男性で、「こんなのは、どうでせう?」とえんどう豆の6揃をすゝめてくれた。「あゝ、こゝの百貨店の店員には全員、じぶんの見識といふものがあるのだな」と心底感心した。それを押付がましくなく、さりげなく、これがあなたに似合ふと思ひますよと「見立てる」能力があるのである。「単に売る」だけの店ではないのである。この客は、色の濃淡に不揃あることが気に入らないのだなと察したら、わたくし好みに調整してくれた。「慥かにこれは薄いですな。濃い目に差し替へませう」。
だからこそ、私は憎い。じぶんの売る商品に愛を持たない店員が。そんな店員を売場に突つ立たしておいて平気な百貨店が。かういふ資本主義をわたくしは、客として、心底にくむ。経営陣は株主総会でそんなことは知らぬ存ぜぬの顔をしてゐるが、知らぬ筈がない。わたくしは断じて共産主義者ではないが、ときどき心底資本主義をぶつ壊してやりたくなる。
例の扇子は、その翌年、むすこと鴨川で遊んでゐたときに、わたくしの胸ポケットからこぼれ落ちて、前日の雨で増水してゐた鴨川にながされてしまつた。
わ「あ~、流されていつてしまつたわ~」
む「アハハハハ!」
このときの記憶も死ぬまで忘れないだらうが、この扇子を勧めてくれた東京日本橋、三越百貨店の婦人店員のことも永遠に忘れないだらう。






