「シンプルに暮らす」ことを提案する人たちは、別名「ミニマリスト」などとも自称して、生活空間に置く「モノ」を極端に少なくしているようです。
使う色まで、黒と白のみのモノトーンに「節約」したりして。
私も着る服を選ぶのがめんどうくさくて、若いころはもとより40過ぎまでそうしていましたが、或る時に決意をして、白はともかく黒をできる限り追放するようにしました。「無難」や「めんどうくさくない」を避けて、積極的に時間をかけて色を選ぼうと。
物足りないんですね。
いまは亡き脚本家の向田邦子さんが、いい年をしてひとり暮らしを始めたころ、はじめは白と黒のモノトーンでシンプルに食器をまとめていたのが、じきに飽きて、個性の強い陶磁の食器あつめに熱をあげだしたというのは、わかる気がします。
「節約」だけでは生活を楽しめないんですよ。
だからミニマリストたちも、愛着の深いものは捨てるなと当然のことを言っています。
じぶんがいいと思うもの、愛惜の深いものを身ぢかに置いて眺めるのは、日日の生活の小さなリラクゼーションになります。物と対話することはじぶんを見つめなおす時間でもあるのですね。
ここで思い出すのが「坐辺師友」という言葉。
出典はどこにあるのでしょう。いづれ由緒ある出どころがあると思うのですが、とりあえずは北大路魯山人(1883-1959)が愛用した言葉ということでいいかと思います。
「坐右にいい物を置くように心がけることが精神の向上につながる。美術的良師と益友を得ることが先づ大切である。いいものは直感でピーンとくる。私は二十歳頃より縁日その他で小さいものを少しづつ買い集めた」
小さいものは可愛いもの。自然愛惜は深くなる道理です。
今回おもい立って、カウンター横の三角コーナーを一新しました。全国にコレクターも多いと聞くちいさな花器づくりでゆうめいな和田麻美子さんの花器を十ばかりもギャラリー「結」(麩屋町通二条通下ル)でみつけてきたのです。
宋代或は李氏朝鮮の青磁白磁にちかい色を出しているものをあつめて、観音像を置いてみると、ふしぎにこころ落着く小空間となりました。
いったいに、小さいころから私は青磁がすきなのですね。
これだけは理由がない。
おのづと心を遠くに遊ばせることができるふしぎな色です。
小医がさいきん診療所で水分補給に愛用し始めている杯は、昂 KOU KYOTO(ぎをん南)さんで求めた村田匠也作。
どうです? 美しいでしょう? 色もフォルムも。
薬にたよらない降圧の効き目が確かにあります。(笑)
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