その言葉を目にしたのは、かれこれ、20年以上も前のことである。
時代錯誤な三島由紀夫のハラキリを考察した本で、タイトルは『自死の日本史』だとかいつた。
自死…。いつたい、どこからこんな言葉を思いついたのやら、一見、ふゆかいな言葉だと私は直観した。おそらく、ちかぢか、無数のバカどもが、この言葉を気の利いた言葉と思ひ、気取つて使ひだすことだらうと思つてゐたら、はたしてさうなつた。新聞の書評欄に書評を書くやうな油虫アブラムシどもは、きまつてかういふ連中である。
しかし、日本には鎌倉時代より続く「自害」といふ由緒ある言葉があり(『平家物語』参照)、明治からは「自殺」といふ言葉があり、「自死」などといふバカげた言葉は、お呼びでない。
なぜなら、人間が勝手に死ぬことはありえないからである。人間が「死ぬ」のは老衰のばあいであり、これも自然がもたらすのであつて、じぶんで死ぬわけではない。それ以外の人間の死亡原因は、自分で自分を殺害すること以外に方法がない。医学的(科学的)に、これ以上に正確な表現はない。「自死」などといふ虚妄の言葉に、存続の余地はない。
にも不拘かゝはらず、この明明白白たる事実を無視した言ひ回しを採用して、たゞで済むとは思はれない。自殺家族へのおもひ遣り? そんなのは余計な忖度といふものである。じぶんは「おもひやりある善人」だとでもアピールしたいと思ってゐるのか? もしさうならナマイキにも程があらう。真実 truth を無視して人間につごうのよい道徳 moral を優先させるのは、倨傲以外の何物でもない。
日本ではかういふ「言ひかへ」を正義だとでも勘違ひしてゐるバカが、精神科医に集中してゐる。精神分裂病→統合失調症、老年痴呆→認知症、精神病院→精神科病院、発達障害→神経発達症…。かぞへ上げればキリがない。みづから科学者であることを、放棄してゐるのである。諸外国でこんな言ひ換へをしてゐる国があるか? ない。世界広しといへども、ひとり日本だけである。これが彼らの愚を証拠立てゝゐる。日本国憲法第九条並みに愚である。事実が変らないのに、名前を変へて何になる。口にこそ出さないが内心に秘めてゐる差別意識を逆に自白してゐるやうなものではないか? 無限に愚劣な連中と評する外はない。







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