病気の説明・各論5−2
クレプトマニア(3)
はじめに
わたくしは京都市内、中京区で心療内科、精神科を標榜して2017年5月1日に開業後、8年9カ月になる精神科医です。
当地で6000人以上の人を診てきました。窃盗症(クレプトマニア)に関する相談受診者は50名を超えています。受診をしない電話相談は2倍以上はあったでしょう。
スマホによる盗撮、下着窃盗などの例を聞くことも最近は増えました(2026年1月現在)。
近時、常識的に考えて何か「腑に落ちない」ところのある(例、執行猶予中の身であるにも不拘、再犯する)万引をくりかえす「窃盗症(クレプトマニア)」が、法廷において、話題になり始めたのは、摂食障害(過食・嘔吐症)とそれに伴うクレプトマニア治療に長く、かつ多数症例に携わってきた赤城高原ホスピタル(群馬県)の院長、竹村道夫医師が、2000年に、病院ホームページで情報発信を開始して以来だそうである(文献1、p.94-5, p.137)。
反響があったということは、上記のようなケースがひとかたならず世の中にあったことを意味する。弁護士はもとより法務省からの見学者も多数あったようである。そのいっぽうで、医者の関心は、あまり引いておらないのは皮肉である。
京セラに所属した元女性マラソンランナーで、減量の必要から摂食障害となり、果ては万引を繰り返すようになった、きのどくな事例もあって(原裕美子『私が欲しかったもの』双葉社2021年)、ジャーナリズムや弁護士たちが騒いだこともあった。これからも騒ぐだろう。
摂食障害者が高率に万引を行うことは由来医学界では有名な事実であるが(文献1 p.94、文献2 p.59, 100、文献3 p.61)、常習窃盗者において必ずしも摂食障害を合併するとは限らない。それでも、摂食障害を合併した常習窃盗者が、窃盗症の「中核群」だと竹村道夫氏は主張している(文献1 p.95)が、おそらく、それは違う(同旨、文献4 p.926)。摂食障害者だからといって免責をヨリ促せるものでもあるまいし、後述する如く、摂食障害と窃盗症、「ためこみ」症は、同一の心性を持つてゐるので「合併」するのに過ぎず、万引はおどろくほど身近に存する犯罪である以上(文献4 p.924)、わたくしはその原因として、犯行者の背後にある「ストレスと性格」を最も重要なものとして考える。このたんじゅんな、基本的考察と分析から議論を始めることを怠っている医者が多すぎる。
書籍の最初に、「行動嗜癖」がどうの、「衝動制御障害」がどうだだの、「依存症」にまつわる難解用語(例、「「自我親和性」など)をごちゃごちゃ持ちだしてくるのは、議論の筋道として反対であって、看過できない(例、文献3、文献8)。
そうすると、ごく単純に言えば、「きのどくな(人生を送ってきた)」人びとという、竹村道夫氏が云うのとは異なる一群が見えてくるのである(同旨、文献3 p.92)。
「精神障害」には病気とそうでないものとがあり、窃盗症は後者にぞくする以上、犯罪の成立については争う余地がない。これは梃てこでも動かない、司法と精神医学の不動の理論的帰結である。ただ、わたくしが治療の余地ある「窃盗症」とみなすべき人びとには、上記の次第で情状酌量を法廷においてはよくよく酌んでくださればと願うのみです(同旨、文献5)。
文献)
1 竹村道夫・吉岡隆編『窃盗症 その理解と支援』(中央法規2018年)
註)内容雑多で散漫な編集。全く感心できない本。おまけにすこし重い。要は赤城高原ホスピタルの宣伝本。
2 下坂幸三『拒食と過食の心理』(岩波書店、1999年)
註)下坂幸三(1929-2006)は、日本の殆どの精神科医が精神分裂病(統合失調症)とうつ病の治療に注力していた時代に、治療難度のさらに高い摂食障害の診療に生涯携わって来た稀有の医師である。医学以外にもさまざまなことに造詣深く、敬意を表さずにはいられない。下坂はフロイト派の医師だが、本書は臨床の智慧がこれでもかこれでもかとちりばめられている名著である。
3 吉田精次『万引がやめられない』(金剛出版、2020年)
註)吉田精次氏は、徳島県の臨床医。わたくしは吉田先生と面識はないが、臨床上の感覚において甚だ共有しているものを感じている。
4 吉永千恵子「クレプトマニア」精神科治療学33巻8号923-8頁2018年
註)ドライな視点で公平に俯瞰している点が評価できる。
5 古茶大樹「クレプトマニアの責任能力」日本精神神経学会雑誌122巻11号822-31頁2020年
註)わたくしは、二回だけ古茶先生と面識があるが、とてもフランクな方で、普遍的な精神医学を志向する上で、認識を一にしている。この論文については、なんぴとたりとも、ケチをつけることができない。
6 京橋メンタルクリニック「窃盗症とは」
https://kmc-ynb8.com/free/kleptmania
註)竹村道夫医師じしん、じぶんのみた症例2100例中DSM-5を満たすものはたった1例であったと白状している。
7 衣笠隆幸ほか「重ね着症候群とスキゾイドパーソナリティ障害:重ね着症候群の概念と診断について」日本精神神経学会雑誌109巻1号36-44頁2007年
註)自閉症特性のあるすべての者とは限らないが、常識的に期待できるであろう相互理解が全く深まらない一群が存在することを明言した画期的論文、とわたくしは考えている。おそらく、一部のヒューマンな精神科医には気に入らない内容だろうが、臨床的、科学的には事実だから、この指摘から目をそらすことはできない。ただし、相互理解がある程度進む群も、むろんある。
8 斉藤章佳『万引き依存症』(イースト・プレス、2018年)
註)東京にある大森榎本クリニック(依存症専門外来)で働く精神保健福祉士(PSW)が著した本。コンサイスとはいえないが、クレプトマニアの論点について満遍なく記載してある良本。

