お庭めぐり

青葉、目にあざやかな五月、等持院ちかくの真如寺をぶらり訪れました。

青楓、杜若(かきつばた)の美しいお寺です。

同志社大学隣、足利義満の建てた相国寺に三つの山外塔頭がある。

ひとつがいわずと知れた、金閣寺。

もうひとつが銀閣寺。

またもうひとつがこの真如寺ということだそうです。

真如寺を建てたのは高師直で、その家紋から寺紋は輪違と、これはお寺の住職から直接うかがいました。

お庭めぐりの話が前々回のブログに出たついでに、以前私が書いたエッセイを再録してみます(平成24年8月筆)。

お庭めぐり  閑居小人

庭のない家は、家庭ではない。秘かにこれは言い得て妙だと感心してから、二年余り経つ。肝心の家をもたぬくせに、庭だけは爾来、機会をこしらえて、名庭といわれる処に寄ってみている。

庭といえば、日本の名庭は、そのことごとくが京都に集中している。しかし、京都で名庭と呼ばれるものは、ちょこんと坐っておとなしく眺めるものばかりである。月に一ぺん、私は息子に会いに京都へでかけるが、四歳の息子は少しもじっとはしていない。大徳寺の大仙院に行った時も、ちんまりとして、せせこましい国宝の枯山水などには見向きもせず、むしろ「お茶でも飲むか」と父が誘った薄茶に深甚な興味を示すばかりであった。

千利休が山門を寄進するなど、茶の湯に縁の深い禅寺だけに、お茶の味もまた格別なのだろうか? うまれて最初におぼえた言葉が「おいしい!」だけに、息子にはもうその旨さがわかるのだろうか?

もちろん、そんなわけはなく、抹茶を一口すすっては、おとながビールを飲む時のまねをして、「ブハー」と大きく息を吐くその所作を面白がっているのであった。父子いっしょにくり返し興じていたら、「親子でホンマ、笑い声がそっくりですなあ」と和尚に笑われてしまった。半分は、静粛にせんかい、という京都一流のイヤミでもあろう。へえ、えろうすんまへん。

ところで、同じく庭といっても、動き回って楽しむお庭もあるわけで、それが大名庭園である。その昔、江戸には、参勤交代でやってくる諸国の大名のためのお屋敷が、御公儀(将軍)のおわす御城(現在の皇居)周囲をぐるり、十重二十重にも取巻いて、その数、一千におよんだという。江戸は何といってもお武家さまの町であった。お殿様につき従って、国元から単身赴任してくる家来のための長屋や、馬場も敷地内にあったというから、敷地は広大である。余ったスペースは、大名どうしの付合や公方様(将軍)御成に備えて、或はひとりお殿様の趣味のため、或は家臣と共に季節の宴を開くため、庭づくりに丹精こめられた由。江戸は植木屋が繁盛し、みどりと美しい花々が幸う庭のまちであった。これを壊滅させたのが明治の御一新である。

日本の庭づくりの基本は、庭の中央にある池泉。その周囲を自ら足を運んでゆるり散策、茶屋で一服しながら、遊歩する。これを名づけて「池泉回遊式庭園」と呼ぶ。チョットしたスポーツでもあり、或はつかの間の小旅行でもある。そんな楽しみを与えてくれる庭が、大名庭園なのである。東京でそんな名庭といえば、双璧をなすのが、駒込の六義園と小石川の後楽園。今回は、後楽園に立寄ってみましょう。

東京駅から山手線に乗り、秋葉原で総武線に乗換えて飯田橋駅東口で下りると、日中友好会館の隣に、後楽園がある。おとな三百円。入口横に、涵徳亭という、いかにも儒教的なネーミングの茶屋がある。安くて旨い。昼すぎに着いて小腹が空いたので、天ざるを頼んだら、海老だけでなく、キスの天ぷらもちゃんとついてきて、たったの七百円であった。

十年ほど前から、東京都の管理する庭園では、土日曜日、ボランティアガイドによる庭園案内サーヴィスが始まったようだ。庭はいきものであって、日日姿を変えている。地震や火災、戦争をくぐり抜けて、往時の姿を偲ぶのは、たいそう難しい。庭を楽しむには、来歴を知る必要があるから、ガイドツアーには、参加するに若くはない。聞けば、ここのお庭巡りを楽しむには、ちゃんと順序があるという。

後楽園は、徳川御三家水戸藩のお屋敷跡の一部。殿様が住んだ書院の内庭から豪奢な唐門をくぐって、お庭拝見というのが正式なのだそうである。実際、寛政の改革を行った老中、松平定信は、そうしたと記録を残している。しかし、昭和二十年の空襲で唐門は焼失してしまって、今はない。唐門にかかってあった「後楽園」の扁額を仰ぎ見たと空想して、西に歩む。なぜか南国産のヤシがたくさん植わっていて、名づけて棕櫚山という。他にも背の高い木々多く、鬱蒼としてうす暗い。大名庭園は「見立て」を楽しむ。ここは山深い中山道、木曽路に見立てた趣向。進路の左横を流れる小川は木曽川で、そこに落ちる小さな滝は「寝覚の滝」というのも、同じ見立てである。中国風の延段の坂道を上りきると、明るい大空がパッと開けて、ひろびろとした大泉水を目の当たりにする。じつに開放感あふれるしかけ。足元を注意すると、そろそろ景色が変りますよ、ここに坐って池をみると、一等見晴らしがいいですよ、と教えてくれる石がある。周りの石と趣がちがうので、容易にそれと判る。これを「役石」というのだそうだ。

大泉水は、中山道のつづきで、琵琶湖に見立てられている。池に中島があり、これを仙境と見立てるのは、日本庭園の伝統。不老不死の薬草が生え、仙人が暮す蓬莱島は、この世の楽園であり、海亀の背に載っていると信じられて、亀の頭らしい大板石も見える。作庭家の名にちなんで現在「徳大寺石」と称されている由。秋に美しい紅葉林、春に見物の枝垂れ桜を過ぎ、ぶらぶら歩いて円の西端にでると、浅い清流に渡した小さな橋がある。流れは大堰川、橋は渡月橋と、ここは旅の終点、京の都は嵐山という見立てである。水は右より流れて左に去るが、左手に細長い堤が設けられ、これは中国の名勝、杭州西湖の蘇堤という。中国と京都が同居するとは異なことだが、雅なものへの憧れ遊びなのだから、細かい理窟を言ってはいけない。ここからは北へ向かって山を登る。関東大震災で失われた清水の舞台後があったり、朱塗りの通天橋がかかっていたりと、「京都小旅行」を楽しんだ後、大泉水を掘った土で築いた小廬山からの眺めは格別である。二代藩主光圀公(水戸黄門)の中国趣味を反映した得仁堂は、古いというだけで、面白くもない建物だが、この庭を光圀公のもとめに応じ「後楽園」と命名した、明の遺臣、主舜水が設計した石橋、円月橋は、水面に映る橋の半円影と合して一円をなす、すばらしいものである。この日は、庭に棲むカルガモのおやこが橋下をすいすい、のんきに泳いでいて、われわれ一行の目を細ましめた。

コラム内写真はすべて令和元年5月9日、真如寺で。

お庭めぐりの道のりは、まだまだ先があるが、すでに紙幅が尽きた。

水戸藩のお屋敷は御一新後、大砲などの武器製造工場になった。東京ドームはその跡地に建っている。後楽園は僅かにのこる江戸の残影である。守ったのは、陸軍長州閥の領袖(ドン)、山縣有朋といわれている。山縣はとかくワル者扱いされて人気がないが、京都南禅寺に無鄰菴を作るなど、庭を愛し、歌を愛した趣味人であったから、私は少し贔屓にしている。

 

 

 

 

 

 

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