I Am an Antichrist.

先日、小医は、法廷に証人として立つた。クレプトマニアの件である。

意見書を書いたことも昔ある。それは長大なものとなり、その時は日本でいちばん豪いといふ評判の刑事弁護人が付いたせゐか、証拠として採用された。たいてゐは、検察官が証拠として採用することに反対する。「不同意」であるとか云つて、こちらが一所懸命に書いても、蹴散らかされてしまふ。

しかし主治医の証人尋問といふかたちなら、検察官もダメだとか云へないらしく、弁護人の要求が通つた。出廷するのは昔の件と合せて二回目である。

この猛暑のなかをネクタイ(銀座田屋の東大ネクタイ)・スーツ(英国フィンテックス・オブ・ロンドン製)・パナマ帽(ボルサリーノ製)のいでたちで出るのは、難儀である。あゝ、こんどはいつになるのやら知らないが、大阪高裁の控訴審に証人出廷することを別件で弁護士に約してしまつたことが、悔やまれる。大阪の西天満まで出かけるなんて拷問である。しかし弟おもひの姉がゐて、きのどくな件なので、わたくしは約した。弁護士も誠実さうな方であつたから。

法廷は汗をかゝない最低限の冷房しか効いてゐない。

傍聴席には何人かのひま人があつて、なんの興味があるのか、わざわざ、この法廷を選んでゐる。わかい人らは法学部学生なのかも知れないが、時間をもて余した中年や年寄は大抵「市民運動」とかに関つてゐるれんぢゆうと観ていゝので、わたくしは大きらひである。

裁判官は、もしわたくしに法学の天分があつたとしたら、さうなつたであらう感じの有能な顔付である。ツマリ、実務人である。前にちょこんと座つてゐる書記官の小娘ともども、黒服を羽織つてゐる。対して、検事(法廷にむかつて右)と弁護士(法廷にむかつて左)は濃紺のいでたち。わたくしはめんどうだからカジュアルなスタイルで出かけようかなと一瞬念じたこともないではなかつたのであるが、やはりお洒落してきてよかつた。

法廷には敬意が払はれるべきであるから。

I swear to God to speak the truth, the whole truth, nothing but the truth. と証人は宣誓する約束である。日本語では「良心にしたがつて真実を述べ、何事をも隠さず、偽りを述べないことを誓ひます」。

わたくしは力づよく、早口で云つた。そのほうがカッコイイからである。いゝ齢をして軽薄なマネである。

アメリカ映画のさういふシーンでは大抵の証人役がながれるやうに上記の英語をすらすら話してゐる。日本語では「良心」といふ言葉がいけない。「良心にしたがふ」といふ言葉は今猶日本語として定着してゐないせゐだらう。心が籠もらないのである。この感覚は通じる人には通じるし、通じない人には通じないから言つてみたところで仕方がないが、言つてみた。舌頭に単語を転がしてみたらよいが、鈍感な人には所詮わからぬから、やめる。

わたくしなら「み心に則り」と言ひたい。「御心みこゝろ」は、聖書の神でも、ほとけの心でも、カミサンのこゝろでも、何にでも通じる。ひゞきの美しさをとるべきであらう。

判事は、うそをいへば偽証罪に問はれることもあるゾと証人を嚇す。しかしこれは儀式で、偽証罪が發動されることは99.9パーセントない。

弁護人からの尋問にわたくしは終始クールに答へたと思ふ。

検事は「被告人の話す事実からさう診断したのか」と訊いてきたが、これは愚問である。「それはすべての患者において同じことである」からである。検察官はすべての事実を把握してゐるとでも言ひたいのであらうか。おまへは神か? だれもそんなことはできない。検事は合計四つの質問をわたくしにして、さいごにもうひとつ愚問を發した。「それもすべての患者に通じていへることで、だれも、ふまじめにクリニックを訪ねるものはない」とか答へた筈である。

しかし、この未熟な検事は、最後に被告人にじつにいゝ質問をしたのである。「あなたは前回の法廷でも、そして今回でも涙をながして泣いてゐるが、それはなぜか?」と。

検事のねらひは、同情をひかうとして見え透いたことをやるなと一喝をかます意図があるのであらうが、わたくしの見方は、それと違つてゐて、被告人には「言語化能力」になんらかの問題があるとみてゐるのである。検事の考は道徳的非難で、わたくしの考は生物学的な観察である。

わたくしも幼い頃くやしいことがあるとよく泣いたものだが、小学4年生を過ぎた頃から泣かなくなつた。これは当時じぶんでも不思議に思つた経験で、自己主張といふ言語化能力が發達したせゐだらうと診てゐる。実際、脳科学では10歳ごろを境にこどもの脳はおおきな発達を遂げるらしいのだ。

ことばにできない想ひを日常こゝろに抱へる人はさぞ、心労がたまるであらう。わたくしは、こゝにクレプトマニアなど「非行」(自責他害)といふかたちで、ストレスを發散する人びとがある、有力な原因のひとつがあると診てゐるのである。むろん傍聴人席に還つてしまつたわたくしには、法曹の人びとに届ける聲をもはやもたなかつたのは残念であつた。

検事は、被告人の罪は重たいので、実刑を二年求刑して、再度刑務所に入つてをれと、理窟だけの主張をしたが、そこにドスが入つてをらないのは明白である。刑務所に被告人の更生能力などないことは分りきつた話だからである。実際検事の声は、きまりきつた祝詞をあげる神主のごとくであつた。

法曹のれんぢゆうは、好かげん、窃盗罪においては、人の生物学的多様性といふ見地から、施設収容一点張りではなく、社会的更生のpasswayの余地をつくるやう、刑法改正の途をひらくことを考へるべきである。しかし、法律解釈学しか心得てをらぬ、この実務家連中は法創造に向けて何もしない。さう、何の努力もしないのである。この怠惰のうへにあぐらをかいた「大罪」はどう考へるべきだらう? 

じぶんを主張するちからを生来もたない、或は低いちからしか持たない人がある。警察、検事、判事、そして弁護士どもは、この事実に知らぬふりして、いくらも冤罪を日日作つてゐる。そしてかれらの罪は「国家無答責の原則」により、個人責任を問はれることはない。

今回の被告人の件は別として、まちがつた裁判、まちがつた起訴を一度もしてをらぬ判事、検事はゐない筈である。ちか頃、大阪地検特捜部の誰だかが法廷で刑事責任を追及されようとしてゐるらしいが、たいへん「善い」ことである。しかしそれは氷山のほんの一角であらう。われわれ医師は、臨床医でもない裁判官のへりくつで捏造した「過失」責任を問はれることが頻繁にあるといふに、たゞのいちどですら、個人責任を問われることがないといふ判事・検事の「階級特権」には、いちど最強度の疑義が呈されてしかるべきだと思ふ。かれらがそんなに賢い存在であるはずがないからである。

賢明なる紳士淑女のみなさまはどのやうなご意見をおもちでせうか?

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