筆のすさび

筆のすさびは由来老人のこよなき慰めゆゑに閑文字とも呼慣らはされて来たのであつたが、近来は此語を知る者も尠くなつた。考へるのは人生のことである。所詮ひとは死ぬ。泉先生も大澤先生も俵先生も、序にわが父も昨年の四月四日に風呂場で死んでしまつた。わたくしが開業したをりに泉先生は両三度、わが診療所の贅沢ぶりに「センセイは余程の金融資産をお持ちなんでせうなあ」と繰返したものだつた。皮肉にも取れたそのコメントは大蔵省が開業医の首根ッ子を抑へてゐる現実を思知るに至つて、医者といふ労働者なんか早めに廃しにするがいゝといふ忠告にわたくしには変つた。仕事ばかりしてゐた時分、わたくしはこの中京区のなかをほッ突歩行くといふこともなかつたので、「センセイのクリニックはどこにあるのですか」と大澤先生に尋ねたら「この辺でウチを知らない開業医がゐたら、それはモグリだ」とお𠮟りの言葉を苦笑混じりに頂戴したことも今に忘れない。成程大丸の裏にあつてこれを知らずにゐたのはいかにも迂闊であつた。俵先生は急なことであつたが、わたくしも先生の享年を超え、今年九月末にはたうたう還暦を迎へやうとしてゐるのである。どうかすると、脳卒中と鬱病をも乗越えて、わたくしは九十過まで呆けもせず、生きてしまふのではないかといふ昏い予感がしてゐるので、これからの三十年間をどうして生きようか、わたくしは真剣に案じてゐるのである。人生の幕を六十歳迄に下ろした鷗外、小津、溝口、カミュなどのことを思浮べると、彼等の幸福をわたくしはうらやむ。わたくしの人生は、法学の勉強が空振に終つた前半、医者となり公に尽し、息子の勉強をみて遣り洛星に合格させた後半の二幕物で終れば沢山であつた。しかしわたくしは鬱病を克服して自殺はせずじまひになつたので、第三幕が用意されてしまつたのであつた。こゝでフイに思ひ該つたのが、ゲーテの『ファウスト』である。わたくしは若年の時これを池内紀訳で求めたが、表紙をながめる丈で読まずに売つた。ワインにも飲み頃があるやうに本にも読み頃といふものがある。今回は岩波文庫、相良守峯訳(上下二冊)で求めたが、これが滅法面白い。嫩者には所詮楽しめない本である。老境を迎へた者こそが初めて娯しみを得る本なのだ。ゲーテが82歳でこれを完成させて死んだのがその証拠。タネを明かせば身も蓋もない、男の人生の三楽は、酒、女、金といふのである。物語は論理学、形而上学、法学、医学、あらうことか神学まで、万学を極めたファウスト博士が、学問を究めても結句むなしいといふ告白から始つてゐる。その告白は、幸か不幸か、医学の外に法学をも修めたことになつてゐる、このわたくしには無縁の言と思へない。哲学も文学も、人並以上には勉強してきた積だから尚更である。こゝにメフィストフェレスが登場して、先生そう陰気になつちやいけませんや、先生の死後の魂と引換にひとつアッシがいゝ思ひをさせてあげませうといふ。まづは酒場に行つて元気を出しませうとメフィストフェレスが言ひ、でかけた学生酒場では、地面にこぼれると青い炎をあげて燃え出すワインを飲ませて、粗暴で癖の悪い学生酒場の連中を痛い目に合せる。ファウスト博士は、そんなところはもうお断りだとご立腹。ぢやあ、先生、つぎは魔女の作つたスウプを飲んで若返りやしよう、それで可愛い娘となかよしになるといふのは悪くありませんぜと誘つたら、これは効果覿面、マルガレーテ(グレートヘン)と見事恋仲になる。恋は若返りの妙薬とはよく言つたものだ。荷風もさう言ふやうに、年増ではダメで、若い娘でないといけない。嘘か誠かアル・パチーノは83歳で父になつてゐる。淀川長治は父60歳の子であつたし、ファーブル昆虫記の訳者奥本大三郎先生も還暦で二児の父になつてゐる。残余の人生におけるわたくしの望みの一つもおそらくこれだと思つてゐる。ファウスト博士はマルガレーテと深い仲になつたのち、メフィストフェレスに誘われて魔女と淫らなワルプルギスの夜などの乱痴気パーティに参加してゐたら、マルガレーテは嬰児殺の罪で獄に繋がれてゐて、絶命する。「あゝ、おれは生まれてこねばよかった」と叫ぶファウスト。これが人生ならば、いつそのこと、じぶんは生れてこなければ良かつた。この嘆きを嘆いたことがない人をわたくしは信じない。芥川龍之介の小説『河童』に、この世に生まれてくるかどうか、河童の国では、父が母親のお腹の中にいる小供に尋ねて小供がきめるといふシーンがあるが(「僕は生れたくはありません」)、高校生のころは通過したこのシーンが今のわたくしには通過できない。死者は幸ひなり。この世に生れ出ぬ者は更に幸ひなりといふ旧約聖書の言葉も、わたくしには響く。のちファウストはメフィストーと共に神聖ローマ帝国の宮廷に出入りし、地下に眠る財宝を担保にした紙幣(皇帝の署名付)をジャンジャン刷って、国富を齎したり(リフレ政策?)、戦争で水攻めの魔術を使ひ、敵を倒したりして、皇帝からまんまと沼沢地を封土としてせしめる。それを干拓して働く人民に自由と幸福を与える。この公的義務にファウストは「女との愛欲」を超えた最終的美学をみいだす。こゝでファウストが例の科白「とまれ、おまへはいかにも美しい」を出したものだから、ファウストはメフィストーとの約束通り、絶命するのだが、神は、邪悪なメフィストフェレスを焼き払ひ、ファウストを嘉して、天国の門に迎へるのであつた。ファウスト博士は、万学を修めたはずが、ひとつ未修科目が残されてゐて、それは経済学であつたことがわかる。わたくしもこんなものは君子の学問ではないと思ひ、若き日に今はなき山一證券から就職の声をかけられたこともあつたが、無論一蹴した。しかし、人間の生活とはすべて経済活動なのだから、医者の公的義務、医学の勉強にも飽き飽きしたわたくしは、生来旺盛な知的好奇心を満たすべく、経済学を勉強しようかなと思つてゐる。手始めに週刊東洋経済と日経新聞を新年から取つて勉強してゐるが、経済学とは、国際政治学のことかと見つけたりといふのが差当りの印象である。ならばさうさう難しいものではあるまい。株式投資は、一種の戦争学で、「ギャンブルではない」といふのはウソである。投資の成功者は全員といつてよい位にギャンブルが好きで、かつ強いからである。戦果は今のところ赫奕たるものがある。行詰つた人生の懊悩について思ひ出す映画に、フェデリコ・フェリーニの『81/2』(1963年)がある。これもいゝ機会と思つて見直してみたら、よい示唆があつた。「女性の愛情(それも複数の)」と「少年時の記憶」が生きる支えになるといふ示唆があつた。いくら年をとつても、少年時の記憶はおそろしい程じぶんを象づくつてゐる。夕闇迫るころ、さびしい野道をひとりあゆむ心ぼそさは、それがいかにわびしからうとも、生来孤独虫のわたくしには、ふしぎに、心あたゝまる時間なのである。 中東医報52号掲載予定

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