よしなしごと

きのふはしごとが終つて、所用を済ませるべく、昼飯も摂らずに、中京の町の色んな所に寄つてゐた。ワイングラスのRiedel専門店が開店してゐたりしたので、ひやかしてみたりもした。

あるきながら、想起されることがある。

机辺きへんに倚つて考へることもあるが、歩行くことで刺戟される思考といふものがあり、わたくしはこちらのほうを好む。アリストテレスも弟子とあるきながら考へたといふではないか(逍遥学派)。前者のstyleは観念論に傾きがちでいけない。後者は現実的でvividな範疇を超えない利点がある。

思へば、親父が死んで一年過ぎた。

親父の口癖は、「ま、ナントカなるだらう」だつた。

もし乃公おれがゐなければ全くナントモならなかつたであらうが、息子を産ませて置いたお蔭でナントカなつたのである。おれが神戸大学医学部に入り直した時、背広縫ひの仕事を失つた父はあと何年かゝるのかと嘆いてゐたが、六年なぞアッといふ間だと答へておいた。おれが医者になり仕送りをおれから受けるやうになつたら、おまへが医者になつてゐなければどうなつたことだらうと手の裏返したやうなことをいふから、六年前おれに何と言つた?と一喝して遣つた。といふのはうそで、わたくしは心の中で、じぶんは父を(母を)追ひ越してしまつたのだなと淡々と事実を受け止めた。その時に(精神的に)親子逆転した、わたくしの心のなかでは両親は既に死んでゐたのである。おれの妹はケチの塊のやうな女で、わたくしが両親の生活費はぜんぶみんな出してゐたが、オヤに何の怨みがあるのか、これはビタ一文出さなかつた。食へたものではない鮨を大晦日どこで買つてくるのか買つて来て、両親に渡すことでこれが孝行と心得てゐたやうな女である。これでも、どこぞの一流病院の看護師長をしてゐるのだから恐れ入る。

しかし、親父も風呂場で心臓マヒを起こして家族に別れの挨拶も告げず勝手にくたばり、呆けてロクに一人で歩けないくらゐ足腰の弱くなつた母親は施設にいれて、わたくしもやうやく肩の荷が下りた。うつ病が治つてきた。母の面倒は後はお前がみろと引導を妹に渡したら、定年が近づいて給料がこれから下がつていくのにとぶつくさ不平を言ふので、どうせ貯金がたんまりあるのだらうからそれを吐き出せば済む話だらうと言つて遣つたら絶縁してきた。ウーマンリブの連中(ある時から左翼の女どもには「フェミニスト」といふ言葉が使はれてゐるのは十分知つてゐるが業腹なので、わたくしはこれを決して使はない。ひと時代前の「ウーマンリブ」といふ言葉を腹いせに使つて遣るのである。3選を果した京都府知事の西脇が更に推進すると公言した「ジェンダー平等」とかいふ気色のわるい言葉も、わたくしはふるふる大嫌ひで、「性」はあくまでもセックスが正しいから「セックス平等」といふべきが、なに恥ずかしからう、「いひ換え」をしてごまかしてゐるのが、これもふるふるその偽善ぶりがたまらなく厭である)は、キンキン声で反対するだらうが、女に人格障害者は多い。

うつ病は精神病だといふことになつてゐるが、わたくしの経験ではまちがひである。まつたくの内科疾患で、原因は疲労(心労)である。原因は不明だとかいつまで言つて済ませてゐるのであらう。うつ病と躁鬱病の区別も大したものではない。躁鬱病II型といふものを「発明」してそれに従つてゐる医者も多いが、内科的追求を怠つてゐるのに、表層的な症状だけで、「病気」を区分けするのは、科学的scientificな態度ではない。うつ病は、整形外科的痛みや筋力とよく相関してゐる。わたくしのばあい、改善と共に、歩行や階段のあゆみが、長い時間をかけてシツカリしてきたのである。味の良し悪しも明らかに鋭敏になつてきた。わたくしは今まで診て来た症例とじぶんの経験を突合せて、わたくしの考に間違はないとほゞ確信してゐる。

「ナントカなるだらう」。この親父の口癖について、思ふことがある。

これを無責任な言論だとか、とがめる連中は金持である。しかし、貧乏人は未来に責任をとれないからこそ貧乏人なのである。だから貧乏人が「ナントカなるだらう」と考へるのは甚だ理にかなつてゐるといふべきである。考へてみても、憂へてみても、仕方がないからである。一体なにをどうすればよいといふのだ? 運を天に任すより外ないではないか。むだなことにエネルギーを割かないで済むから、「ナントカなるだらう」は貧乏人の智慧なのである。由来多くの人はさうして生きて来たのである。これを「ドウニカしなければならない」とアレコレ気に病むのが金持で、といふのは、なまじ時間と金銭的余裕があるので、さういふことにいつまでも悩んでゐられるのである。いゝ身分である。不安神経症は贅沢病といつてよい。現代日本人の宿痾である。貧乏人にひまはない。目の前にあることに集中するより他はないからである。だから仕事は奴隷(貧乏人)を幸福にしてゐる。よけいな時間を暇人に与へないからである。自由といふ余計な時間は、かならずしも人の幸福と直結はしてゐない。無能な凡人には不安を亢進させるだけである。「国家百年の大計」などの御大層な言葉があるが、所詮百年も生きられないにんげんなどに遠い未来を見据えたことはそもそも考へられない。もつと謙虚なことをいふがいゝ。どうせ出てくるのは、ふあんに打ち震へるひとであつても、「すべての人が文化的に生きる権利」(憲法25条)とか、聞こえは成程いゝが、人間社会から生きる努力、血と汗、vitalityをうばふ代物で、これが小役人のおぞましい利権の源泉になるのである。国民もおろかな最高裁判所の援護を得て、これはわれわれの権利だとのさばるが、働かずに受ける端金を寄こせとうなるその顔付が卑しい。何につけわたくしは「美名」といふものを憎む。この場合は「再分配」である。激務と労働を以て日本を支へてゐる人びとからカネをまきあげておいて、「貧乏」と称する連中にばらまくのが正義なのだといふ。実態をいへば、大蔵省(国税庁)は恐喝をしてゐるのに過ぎない。ヤクザである。代議士はカラダを張るべきだが、張らない。腰ぬけである。

受診者の多くにわたくしがする話に、お金と自由の話がある。お金は人を確かに自由にする。不快、苦痛を遠ざけてくれる作用がお金にはあるのである。しかし幸福は別物である。貧乏人であつてもいくらでも幸福になれるからである。そしてアリストテレスもいふとほり、幸福こそが人生の目的である(日本の憲法学者どもは、ジョン・ロックの思想がどうのとかアメリカの独立宣言がどうのとか、ごく狭い範囲で物を語りたがるが、こいつらは常に視野が狭いのである。独立宣言の父たちはむろんインテリで、その由来はアリストテレスに源を発すること、これは西欧思想史の常識である)。自由を得ることも人生の目的であるが、所詮付属物に過ぎない。お金はむしろ幸福から人を遠ざけるしんぱいがある。それが証拠に、祇園にかぎらず京都ぢゆうにある、高級な日本料理屋に行つてみるとよい。お金は有り余る程持つてゐるのであらうが、不幸な影のあきらかにある人がどれほどゐることか。いゝ齢をしてじぶんに自信のない人びと。じぶんの一言いちごんを持つてゐなさそうな人である。さういふ人たちは、見た目とほり、話の内容もきはめて薄い。一様にさびしさうな顔付をしてゐる。日本人はカネの話をするのはすきだが、幸福ないし満足 happiness or pleasure とはなんだらうといふ話をしない。しかし、こゝにこそ普段からよく頭を使ふべきだらう。人生にはかならず終があり、である以上は、いきる「目的」を明確に立てることが不可欠である。いゝ齢をしてロクな知識もなく、ハッキリ物を言へないオトナ、自分にとつての「幸福とは何か」を語れない人間は、人生を空費してきた人である。

親父はこの点、人生にたいした「目的」などはハナから持合せてはをらない男であつた。ただ親父はおれから多額の仕送りを受けても、遠慮することなく贅沢してゐた。甘やかせ過ぎたなと反省したが、もう死んでしまつたから、今更歯噛みしてみてもはじまらない。親父は朝夕、新聞を配つて、死ぬ前日まで働いてゐたから、労働者の権利として、じぶんには贅沢をする権利があると信じてゐたやうだ。親父は民主主義ないし共産主義を愛し、朝日新聞を信じてゐた。わたくしが朝日新聞を罵倒すると怒りを隠さなかつた。中卒だから学がない。だからわたくしのいふ自由精神がわからないのであつた。その一方で、生活信条としては、まづいものは食はない。「そこそこ」のものを万事嫌つた。買ふものは、何によらず、常に高いもの。家電は、生涯ナショナル(パナソニック)を愛した。なんでも一番がいゝのである。わたくしが東大に合格した時も無論よろこんだが、サテ、東大がどういふところかといふことは丸で知らなかつたから、わたくしはほんたうに苦労した。今おもへば、東大などは役人になりたい連中がいく大学で、別段ぜひとも行かなければならない大学なぞでは断じてない。東大生の半分以上は学問の世界に入る資質をそもそも欠落させた連中であることをわたくしは駒場での最初の授業で体験した。学生の私語がすさまじいのである。この礼儀知らずは全員射殺してやりたい位であつた。入学定員は現状の半分が丁度いゝのではないか。京大もさうである。以下同文。親父の話に戻ると、珈琲は「イノダコーヒー」をわたくしが教へて遣つたのが運の尽きで、定期的に京都の本店に註文を入れてゐたやうだ。実家の水屋にイノダコーヒーが大量にストックされてあるのを見つけた時は腹が立つたが、(つひ最近まで)ふだん長らく珈琲をのまなかつたわたくしも、飲んでみると成程うまい。味が澄み切つてゐる。

職場ではKEY COFFEEのドリップで十分うまいと思つてゐたが、最近の味覚恢復と共に、「まづい」と舌が文句を言ひ出すやうになり、今日、たうたうイノダの本店に出向いて珈琲を淹れる道具一式、購つて来た。父が、わたくし、わがむすこと同じく、口福を人生の不動の目的のひとつとしてゐたことは、遺伝的に疑の容れる余地がない。他にもわたくしの眼鏡にかなふ「目的」を、父には持つてゐてもらひたかつたが、これだけは人生の境遇の運不運で、どうにもならないことであつた。

珈琲や ミルクに砂糖 春の朝  明以

よしなしごとの記)俳句は将来性のない文藝だと思つてゐる。東大生に俳句を趣味とする者が尠くないが、たつた十七文字にあれこれ思案するのは才ある男子のなすべきことではない。そんなことをしてゐる暇があるのなら、世のため人のために粉骨砕身はたらくことを考へるのがエリートの務めである。わたくしは医者として十九年間さうしてきた。俳句は平凡なものを最良となす。非凡を考へるのはヤクザである。この点でわたくしは藤田湘子を好かぬ。ほんたうに詩心を持つ人だけが俳人と称されるべきであらう。明治以後、そんな人は久保田万太郎だけである(「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」。大正十二年九月震災。諸事、夢のごとく去るの詞書の下に「秋風や水に落ちたる空のいろ」。「あきかぜのふきぬけゆくや人の中」)。芥川龍之介も、永井荷風も、夏目漱石も、この人には及ばない。藤田湘子によると、俳句の初心者は「〇〇や」或は「〇〇哉」から始めるのがよいといふ。切字をまづ置け。そこに感動をこめる。すると俳句のカタチはかろうじて保たれる。まづ合格は保証されると。「珈琲や」以下、わたくしは平凡に平凡の語を重ねて、「現実といふ永遠」の意をこめ故人への弔句としたつもりである。句評をしておけば、春は、親父が四月四日に死んだからだが、夏の朝はまるでだめ。秋の朝は少女漫画で、冬の朝は商品広告かといふ程、ベタ過ぎ。春の朝のみが、からうじて詩情ある。俳句はエッセイの末尾におくと、エッセイに花を活けてむすぶことができる。これをよくしてゐたのが高峰秀子である。江戸時代の随筆でもよくなされてきた手法、伝統である(横井也有『鵜衣』など)。わたくしは俳句など、それぐらゐでたくさんだと思つてゐる。随筆の書けない俳人など、お笑ひぐさではないか。しかしかういふ連中が山ほどもある。万太郎も散文などはへたっぴいもいゝところで、丸で書けなかつた。まづは文人であつてこその俳人で、いまの俳人はたゞの俳人だけ。つまり廃人である。歌人にあつても事情は同じであらう。「明以」はわたくしの雅号。名前の一字「明」からとつた。わたくしは何があつても「明るい」からである。親父もさうであつた。親父は不幸で悲惨な幼少期を過ごしてゐるが、それにくじけることなく、ふしぎな明るさを以てよく生き抜いたものだと思つてゐる。現代、なにかあるとPTSDだとかへつたくれだとか泣言をいひだす輩があるが、わたくしはかういふれんぢゆうを好かない。日本いがいの世界ではどんなに悲惨なことがあつても、いかに目の澄んだ子供たちのいくらもあることだらう。この事実ひとつとつてみても、わたくしはPTSDも先進国の贅沢病だと思つてゐる。高瀬川を引いた角倉了以、秀吉の配下の前田玄以、芥川龍之介に縁のつながる大通の細木香以(芥川『孤独地獄』参照)と「〇以」といふ名前のついた先人は幾人かある。「明以」はそれを真似た。「名医」にかけたとは言へないので「迷医」にかけたのだとうそをつくことにしてゐる。世にこれを謙遜といふ。世の中はうそで固めたところだから仕方がない。

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