さまざまの

「さまざまの」

「さまざまの?」

「さまざまの事おもひ出す」

「事おもひ出す?」

「櫻哉さくらかな

「あら、すてき」

「芭蕉」

「ふふ。あなたは勉強家だから、なんでも知つてゐらつしやる」

「知つてゐても何にもならない」

「そんなこと、ないわ。私、今おもひ出したもの。あなたがむかし櫻の花をすこし手折つて、私の髪に挿してくださつた時のこと。あなた、憶えてゐて?」

「イヤ?」

「ホラ、お着物でいつしよにお出掛けしたでせう?」

「あつたつけ」

「わたし、わすれてないわ。あなたのことだいすきだつたわ」

「申訳ない」

「いいの。でもまた会へてほんたうによかつたわ」

「ありがたう。こつちはめそめそしてばかりで済まない」

「いいのよ。だけどずゐぶんお笑ひにもなつたし、久振に私もお腹の底から笑つたわ。でもね、わすれないで。けつしてあなたはひとりぢやないわ。また会ひませう」

「あ、俥くるまが来たよ」

「しかし、あなた、お痩せになつたわ。わたし、抱きしめてあげる。ぎゆう!」

「おお、苦しい、くるしい」

「わたしたち、なんど、この町のまちかどでまわりの人を妬けさせてきたでせうね」

「うん。今夜、ゆめで指折りかぞへておもひ出すことにするよ」

「莫迦ばか。ぢやあ、又ね」

「うん、又」

追記(9月2日)。この作は、フィクションではない。ほんたうに小医とある時期深い関係にあつた女性との間に交はされた会話である。4月7日にアップロードしたが、思ふ所あつて一度さげた。だが、ふたりの会話だけでひとつのはかない物語になつてゐるところ、「掌編小説」として捨てがたい妙味あつて、捨てきれなかつた。再びアップロードしたゆゑんである。女性のいかにも女性らしい優美な言葉遣ひには漱石風の味付がしてある。このころ、私はまだじぶんの鬱病に気づいてゐなかつた。その後まもなく大学同期の友人の助けを借りて診断の確定に至つたのだが、鬱病の症状として、男性患者には「女性の好意に甘える」といふものがあるといふのは、笠原嘉先生の古典的名著『軽症うつ病』(講談社現代新書、1996年)にも出てゐて、知つて改めて驚かされた。私の鬱病発症には、いろいろな背景があるとおもふが、それを考察するためにもこの一篇は必須で、これも再アップロードした理由である。私が鬱病にならなければこの女性と再会することもなかつたであらう。その内還暦も来るだらう私の今後の人生について、改めてよく考へるためには、今回の病気は、巨大な良き節目になつたと私は好感してゐる。読者の裡には、私とこの女性との縁がもどる可能性をさつそく想像してゐる人があるかも知れないが、それはないと思ふ。が、先のことは誰にもわからない(No one knows his fate.)。私が退院したあとに経験したことを記す機会は別にまたあるだらう。

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