きらひな言葉

文章を艸そうするのは楽しいことである。しかし巧い文章と、さうでないのとは、厳然たる違ひがあつて、これを弁へない連中には困つたものである。

文章に上達する途みちは、言葉を好きになることではない。逆説的な話だが、虫酸むしずが走る言葉に敏感な人ほど、文章に上達すると、清水幾多郎が言つてゐる。といつて、清水幾多郎つて誰だい? と訊かれても迷惑である。知りたければ各自勝手に調べて、よろしく勉強するがいゝ。

みんな、人に教へを請ふのはタゞだと心得てゐるが如くであるが、それは違ふのである。そんなことは学生身分だけに許される。社会人にもなつて、さう心えてゐる連中の何と多いことだらう。じつに虫酸の走る連中である。

わたくしは若年のころ、この人の書いた『倫理学ノート』を夢中で読んだ。定義できない言葉(概念)とは何か? という哲学的命題を考へるうへで実に参考になつた。学の要らない庶民の実生活においても、突当たる哲学的問題といふものは実在する。庶民はバカだから、マイケル・サンデルごときが弁ずるハーバード大学法学部の哲学講義とかいふのに昔一時期夢中になつてゐたが(『これから「正義」の話をしよう』)、あんなのは、清水幾多郎が取り上げた百年もまへの問題の焼直しに過ぎない。清水の取上げた問題は、その又百年昔の、ジェレミー・ベンサムの取上げた問題の焼直しだつたのだが。

註 正義論について、徹底的に「純粋に」問い詰めたのは、ウィーンの大法学者ハンス・ケルゼンだが、かういふ専門家だけが知つてゐることは、庶民は誰も知らうとはしない。だから一知半解の阿呆ばかり生れる。サンデルなどを読むくらゐなら、東大の長尾龍一先生の本を読むほうが余程有益だが、これも、知る人は知るが、たいていは誰も知らぬ。

それはさておき、虫酸の走る言葉である。わたくしは「寄り添ふ」といふ語が、はなはだ嫌ひである。尋常に「なぐさめる」とか「はげます」とか「親身になる」とか言へばよいものを、一体何が「寄り添ふ」だ。誰もできないことを他人ひとには求める「気分語」の最たるものである。よくよく理解して使つてゐるのか、おう、どうだ? と喧嘩を売りたくなる。むろん理解などしてゐるはずはない。これを好む人は自己に責任を感ずることはなく、他人には好んでむやみに責任を求めたがる人である。幼稚なのである。

じぶんに「寄り添つてくれ」とは、どういふことなのだらう? 考へてもみろ。そんな義務は他人にはこれつぽつちもないのである。「実際に」やつてみようか? 横に坐つていゝのだらうか。肩に手をかけていいのだらうか? 手を取つていゝだらうか? 髪を撫で撫でしていゝのだらうか? いつたい、頬に頬をすり寄せてもいゝのだらうか? しかし、これは「セクハラ」なのではないだらうか? 世上「セクハラ」は厳禁と言ひつゝ「寄り添ふ」のは実にいゝとは、どういふ精神の持主が言ふことなのだらう? 諸君、まじめに考へたことがあるか? ないから、こんなバカげた言葉を平気で口に出せるのである。

必ずや名を正さんか(論語)

もう一つ、わたくしが、死ぬほど、ふるふる嫌ひなのは「自死」といふ流行語である。これは数十年もの昔、東京市ヶ谷の自衛隊本部にて、意味のよくわからない憂国演説(バルコニー下の自衛隊員からさんざん軽蔑のヤジを受けてゐた)を遂げたあと、滑稽な自決で人生を閉じた三島由紀夫の評伝を書いたアメリカ人だかがあつて、朝日新聞紙上の評論において見つけたのが、わたくしには初めてであつた。

その時だつて、一瞥いちべつおぞけを奮ふるつた。その後も奮ひ放しである。人が「死ぬ」のは、病気か老衰のみによる(心停止)。それ以外、他害を除けば、人は自分で自分を「殺す」以外に、「死」の結果を導くことはない。これが医学的真実である。「医学的」といふことは「科学的」といふことだ。誰しもが認めなければならぬ「真実」である。それをわざわざ一部の文系人間どもは「自死」などといふ。カッコイイとでも思つてゐるのだらうか? 何か自分は「意識が高い」とでも思つてゐるのだらうか? 数学ができないために、いゝ齢をしても不相変あひかはらず頭のわるい連中が実に勘違ひしさうなことではあるが、勘違ひもたいがいにしろと、わたくしは言ひたい。かういふ「良心的」な好みをもつ連中は、フェミニスト、フランス現代哲学者、朝日新聞や日本経済新聞の「じぶん」といふものをもたない高学歴サラリーマン記者、大学の教職者などの似非インテリ、日教組関係のイデオロギー教育者と、大雑把に総括すれば「アカ」。この連中一派に集約されるのである。このアカ共の実名を、いくらでも出してやつていゝが、控へよう。いちごんにしていへば、何もじぶんのあたまでは考へられない連中である。数学ができなかつたことでさうした頭の質は既に証明されてゐる連中である。ならば社会でおもしろい経験をいくらも積めばいゝところを、考へるに足るべき実経験をもたうとしなかつた臆病な連中である。所詮、本で読んだことくらゐしか他人に話せない連中である。「天声人語」や「春秋」をみるがいゝ。優にそれは判らう。

凄惨たる「事実」から目を逸らしてはならない。安つぽいモラルに凭もたれるな。自殺は自殺である。何が「自死」だ。繰返す。言葉遊びも、たいがいにしろ。

註 わたくしは右翼ではない。私はあらゆる団体主義、官僚主義、とりわけ衆愚、狂信の最たるものである民主主義といふものを生来憎み、たゞ合理主義、理性主義、個人の自由主義と優美な工藝美術のみを信じ、愛してゐるだけである。「平等」といふやつ、「モラル」といふものが何より嫌ひである。フランス革命とマルクス、ありとあらゆるその後の共産主義者ども、その亜型(ヒトラー、プーチン、トランプ、毛沢東、習近平、金正恩、ネタニヤフ…)はくたばれ! インテリのつくる文学を唾棄し、真実に基づく冷徹な文藝、暢気でセンチメンタルな詩を愛する。人間といふ狡猾で醜い生物を憎む。それよりも遥かに、ちいさきもの、可憐な花や蝶、トンボを愛する。カエルを愛する。水面をおよぐ蛇を愛する。うまれ落ちるや否や糞をまき散らしつゞける憎つくきひな鳩を愛する。…以下省略。ウソのない世界をわたくしは愛する。しかるに人間だけがウソをつくのである。

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