病気の説明 18

病気の説明・各論 14 アルツハイマー病

2 軽症~中等症アルツハイマー病患者の診察風景

平成23年から平成27年まで、小医が、総合病院の精神科外来で、認知症の新患患者をみていたころの診察風景を再録してみます。

「センセイ、新患」

と外来看護師のマチコさん(キュートな美人)から新しいカルテを渡されます。

福田幸子さん(仮名)。82歳。

「ああ、またかよ」と患者の年齢をみた瞬間に私はためいきをつきます。

「そのまただよ」とマチコさんも頷いて笑います。

当院で若い患者はまれです。

たまにきても、夫の浮気や不倫の顛末といった「人生相談」であることがたいていです。ときには、統合失調症やアスペルガー障害といった本物の病気の人もありますが、少数です。

ちなみに、新患カルテには、患者さんやその家族が書き込んだ問診票がはさまっています。

主訴の欄に目を走らせると、予想通り、「物忘れ」とあります。

「やれやれ」とおっくうな気持ちで腰をあげ、外来入口から「フクダサチコさーん」と呼び出します。名前をよばれた患者さんは、付添の家族と共に立ち上がり、こちらに向かってきます。たいていふつうの感じです。

「ふつうの感じ」。

これは大事な所見です。

これだけでアルツハイマー病だなと、主訴の物忘れと合せてすでに診断がついてしまいます。アルツハイマー病を疑われる患者さんの初診平均年齢は80歳プラスマイナス2歳。アルツハイマー病の人はたいてい、ぱっと見た目には、なんら違和感を感じさせません。

「おはようございます」といって、席を勧めますが、アルツハイマー病の人は腰をおろすときに、椅子の場所とじぶんのお尻との距離をはかりかねて少しもたもたします。

これも大事な所見です。

物の位置関係がつかみにくくなっているのです(定位障害)。

付添の家族のために席をつくるということをしない人もいます。やや自己中心的になっています。

あいさつは過剰にていねいで、やや陽気にはしゃいでいることが多い。

しかし、よく観察すると、その所作の背後には、患者の不安が隠れています。

「いまに何を訊かれるのだろう」

「とうとうボケと宣告されてしまうのだろうか」

そういう不安を覆い隠すために、表面上はにこやかにしているというふうに、私はとります。

じっさい、患者の目にはにこやかさの裏にかすかな猜疑と不安の色がひそんでいます。これも見逃してはならない大事な所見です。

認知症の人は、あいさつなど、ごく表面的な会話は得意です。

あいさつは身体にしみこんだ習慣で、たいてい何も考えなくてよいからです。しかし、いったん深くこみいった話になると、とたんにボロを出します。

内容のある筋道の通った会話をかわすにはエネルギーが必要ですが、認知症の人にそこまでの能力はすでに失われています。だから、たいてい話は同じことのくり返しが多く、冗長で、大ざっぱで、まとまりがありません。

「福田さんは、もうずいぶんなお歳のようですが、何歳になられましたっけなあ」と聞きます。

だいたいの人は正確に答えます。

或は、1,2歳若く申告します。この場合、痴呆は、1,2年ほど前からあきらかになってきているのだなと推測します。1,2年ほど前から、患者の時間は「とまっている」とみるのです。年をとれば、1歳、2歳の違いなんて、ものの数には入らないとかいう「ものわかりのよさ」に医者までが加担してはいけません。きびしく評価するのが、医者の目というものです。

患者の中には極端なばあい、50歳とか答える人がいます。

これは重症です。

認知症は重症になればなるほど、患者は「若く」なります。昔の記憶しか残っていないので、自分の年齢をそう「過少申告」するわけですが、これで患者はもはや「現在」に生きていないと、わかります。

「なるほど。ではお生まれはいつですか」

患者の生年月日を問うと、これもたいてい正解します。

しかし、ここでつまづく人は、先と同様、重症です。

「昭和4年4月29日と。昭和の天皇陛下と同じですな、わはは」。

私は笑いを大事にしています。アルツハイマー病の人は同調性が高く、いっしょに笑ってくれます。陰気な医者にあたらなくてよかったと安心してもらうのもサーヴィスの内と考えています。

「昭和4年というと、ずいぶん昔の話で、あれからもう82年も経ってしまって、サテ、今日は何年の何月何日ですかね」

この質問がひとつの山場になります。

「えっと、昭和4年4月29日」

このように、アルツハイマー病の人は、じぶんの生年月日をもう一度くりかえすことが少なくありません。

これも大事な所見です。

専門用語で「保続」と呼んでいますが、すぐ近くの記憶にひっぱられるのです。

耳が遠いからではないか? と考えたいのはやまやまですが、人情は正確な診断のためには禁物です。

「いやいや、今日の日付」

「やだわ、おばあちゃん。今日は何月何日?」とつきそいの家族も答をうながします。

ここで患者さんはハタと困った顔をします。弱ったぞという表情です。参ったなと苦笑いする人もいます。

そして家族のほうを振向きます。

専門用語で「振向き動作」と呼んでいます。

これでほぼアルツハイマー病と診断確定です。

「いやいや、急にいわれちゃうと、まごついて」

「ふだん、今日の日付なんて、気にもしないで生活してるものだから」

患者の多くは言い訳をしますが、ほんとうは今日の日付がどうしてもわからないので、これは専門用語で「取り繕い」と呼ばれています。患者はじぶんの体面を守ろうと必死なので、深く追及してはいけません。

「そういうこともありますよねえ。緊張してるのかなあ。うふふ」

時・場所・人の順番で人は「見当識」を失っていきますが、患者さんには日付の失見当識があると判ります。「時間」という観念をもっている動物は、地球上で、どうやら人間だけでしょう。にんげんの脳がそれだけ上等にできているので「時間」という観念も持てるわけですが、痴呆がでてくると、どうやらその一番上等なぶぶんから脳がやられるもののようです。

ついで、「サクラ」「ネコ」「デンシャ」の3単語をくりかえし声に出して、覚えてもらい、後でまた訊きますよと記銘力と記憶の短期保持能力のテストをします。

この間、気をそらすために、「頭の体操」と称して、私は「100ひく7は?」と尋ねます。

ここで「97」と患者が答えることがありますが、これも先にのべた「保続」現象です。

「93」と正解した人も、医者から「ではまた7を引くと?」とたずねると、正解の86ではなく、「87」と答える人が少なくありません。或は「83」とも。

これも「保続」なのかもしれませんが、認知症の人は緻密な計算能力を駆使するのがもはやおっくうになっているのかも知れません。適当でいいやという感覚が強いように思われます。

つぎは、6―8―2と3―5―2―9という3ケタの数字と4ケタの数字の逆唱をしてもらいます。これで空間配置の感覚を調べます(と私は考えています)。

逆唱できるためには、頭の中で想像して数字を並べる必要があります。認知症の人には先に定位障害があったように、物の配置がもはや正確にはできなくなっていることが多いので、3ケタの数字の逆唱はいえても、4ケタではたいていつまづきます。立方体図形を模写してもらうテストでも、案の定、きちんと線を引けません。

クルマの運転はそろそろ危険ということがこれでわかります。

言い遅れましたが、アルツハイマー病の患者さんは、診察室への入室時、きょろきょろ、よそみをたくさんしながら入室してくることも多いのです。それも、心理的緊張というよりは、道順や物の位置把握が不確かになっていることと強い関係があるとみるべきでしょう。

「サテ、ではね、さっき覚えておいてくださいと言った3つの単語、あれは何でしたか」

第二の山場です。

「春にさく花」とか「家の周りにいる小さな動物」「のりもの」とヒントを出すと思いだしますが、「ああ、そうだった!」と悔しそうな表情をみせる人はいません。これが大事な所見です。

そうだっけなと何となく答えて、ふしぎそうな顔をしていることが多い。どうでもいいことだという顔です。あたらしいものを覚える記銘力と短期に記憶を保持する力がだいぶ弱っているとわかります。

最後に「福田さんは料理上手? 野菜の名前は得意でしょ。ホラ、10個くらいドンドン言ってみて」と質問します。

多くの人は、10個もあげられません。

たいてい4つか5つでおしまいです。「トマト。…あ、これはさっき言ったっけ」と同じ野菜の名前をくり返すことが少なくありません。これも記憶力の低下を反映しています。

以上のテストは「長谷川式簡易知能検査スケール(HDS-R)」を私流にアレンジしたものです。

たいていの人は、ここはどこかという場所の見当識はあるので(なければ、とっくに徘徊しています)、やりません。患者さんのプライドを傷つけない配慮です。

えんぴつ・カギ・歯ブラシ・時計・スプーンの五つの物品をいったん見せた上で隠し、「サテ、なにがありましたっけ?」という5つの物品テストも最近はめんどうなのでしません。たいてい3つか4つは正解するので、省略しています。

それよりも、もっと大事なのは、「10時10分の時計」の絵を描いてもらう「時計描画テスト(CDT)」です。

健康な人は大きな円を描き、12、6、3、9の順に数字を並べ、残りの数字を書き込みます。「10時10分」の時計の針も正確に書きます。

しかし、認知症の人が描く円は、どこに数字を書き込むスペースがあるの? と医者に思わせる位ちいさな、そしていびつにゆがんだ円です。

数字はたいてい1から順に、数字の配置のバランスは考慮せずに書き並べます。反時計回りに数字を並べることさえあります。

10時10分の針は10時と10分を別々に書いて、針を3本にしたり(「あ、まちがえた」と、12を指す針を消すことが多い)、あるいは長針も短針も10にそろえたり、もはや「時計の針」の概念がなくなったのか、時計の絵の横に直接「10時10分」と書き込んだりして、家族の顔をくもらせます。

このテストの成績が不良のばあい、物事を計画して上手に実行に移していく、段取りの能力が弱っていると推測されるので、炊事、洗濯、掃除、買物などの日常生活にも支障が出ているであろうと想像できます。ひとりぐらし(自立)はもはや困難ということです。

医者から時計の絵を描いて下さいといわれて、じぶんのはめている腕時計を模写しようとする人もいます。腕回りの金属の蛇腹ないし皮革も描くわけですが、眼の前にある物に即物的に反応するのは、相当知的能力が低下してきているものとみます。

これでテストは終了。

診断はアルツハイマー病で確定していますが、いちおう頭部画像検査をオーダします。

たいてい、脳溝が開大して脳がびまん性に萎縮し、シルヴィウス裂の拡大、脳室の拡大、白質の変性、微小な陳旧性の脳梗塞巣を認めます。

「まあ、年齢相応ですといいたいのは山々ですが、その域はもはやびみょうに超えてるね、残念ながら」とかいって、塩酸ドネペジル(商品名アリセプト)などを処方するとともに、市役所に行って介護保険を申請するよう、家族には指示して、初診が終了します。

これを来る日も来る日もやっていると、「ああ、またか」という最初のため息になるわけです。

初診患者全員が認知症という日もまれではありません。なにしろ地域の高齢化率は30%をすでに余裕で超えているのです。

「センセイ、がんばれ」とマチコさんがはげましてくれます。窓口事務のヤマザキさん(病院一の美人)も「うふふ」と愛想笑いしてくれます。

「うつ病の人をはげましちゃダメよ」と私は軽口をいって、ようやく昼食を摂りに行きます。

「あ~あ、また、もうお昼二時過ぎてるよう」

参考文献

1 福井俊哉『症例から学ぶ戦略的認知症診断』(南山堂、2007年)

2 山口晴春「一週一話 認知症の非薬物療法―医師の傾聴や声がけも非薬物療法」日本医事新報4538号50頁2011年

 

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