医師という職業について

むかし書いたエッセイの再掲。お暇つぶしにご覧くださると有難いと云爾。

医師という職業について 閑居小人

医者といえば、昔から「医は仁術」という言葉が有名です。江戸時代から続くロングセラー『養生訓』にも出てきます。著者の貝原益軒先生は、腹は八分目、酒は微酔(ほろよい)がよいと言った人です。愛妻家で旅行好き。医学にかぎらず、薬学、地理、農業、儒学など、万学を修めました。オランダ政府から密命を受けて、日本の地図のみならず、日本に関するものならば、ありとあらゆる情報を日本からヨオロッパに持ち帰ろうとしたドイツ人医師のシーボルトは、益軒先生を「日本のアリストテレス」と評したそうです。アレキサンダー大王の師であったギリシャ哲学の巨人アリストテレスは、医者の息子です。アリストテレスの学説は長く十九世紀まで西欧医学界で権威としての地位を占めました。

「仁」とは儒学の最高の徳目で、愛を意味します。親を愛する、子を愛する。そんな気持で、わけへだてなく人を愛するという意味です。医者はそんな気持で人助けをするから尊いと医者をほめ称える言葉かといえば、残念ながら、違います。だいたいが、医者はけしからんと咎めるときの枕詞として使われてきました。すなわち、「医は仁術である。しかるに、近頃の医者ときたら、算術に走る輩ばかり。実に嘆かわしい」という具合です。

江戸時代、日本には「医者寒からず、儒者寒し」という有名なことわざがあって、京都堀川の裕福な材木商の息子、伊藤仁斎が、じぶんは儒者になるのやと言ったら、親きょうだい親戚の全員が揃ってこのことわざを持ち出し、お前はあほかと猛反対したと言います。この時代の学問といえば、儒学、つまり、『論語』『孟子』に始まり、修身斉家治国平天下の道を説く、孔孟の学ですが、学問だけではご飯が食べられないので、学者文人は生活をするために、医者を兼ねたものだったのです。これを「儒医」といいます。孔子の教えは愛の学問と古義を説いた仁斎先生は、全国に門弟三千人を数える大儒となり、意地もあったので、医者は兼ねませんでしたが、先の益軒先生、『雨月物語』を書いた文人の上田秋成、「もののあはれ」を説いた国学者の本居宣長、これらの人たちはすべて医を兼ねました。

実際、江戸時代から医者の羽ぶりは相当良かったようです。『南総里見八犬伝』を書いた曲亭馬琴、この人は文筆だけで生活できたそうですが、その年収が凡そ三十五両。益軒先生は九州福岡藩黒田家に仕えたお儒者でもありましたが、その年収が二百石。お金に換算して約六十五両。これに対して、畸人の前野良沢たちとオランダの解剖学書「ターヘル・アナトミア」を訳出した医者の杉田玄白は、六百両ほども年収があったと言います。

富裕であれば、医者はエライのかというと、むろん、そうではありません。日本は中国・朝鮮とは異なり、「武」の国であって、鎌倉時代の昔から偉いのは日本では武士と極まっています。

《花は桜木、人は武士》

現代でも武士の「士」の字がつく職業は、正義を体現しています。明治の御一新を齎した幕末の志士、国民の期待を担う代議士、法を守る弁護士、企業の不正経理を許さぬ公認会計士、地域の安全を守る消防士と、みんな「士」の字がついています。ちなみに、喧嘩と火事は江戸の華、江戸時代、火消の意気たるや、たいそう軒昂であったようです。

しかるに、医者はどうかといえば、チョット影がある。医者は医師といいますが、「師」の字がつく職業にはあやしさが潜んでいます。庭師、調理師ならそうでもありませんが、これが漫才師、手品師、相場師、山師となるとあやしさが増してきます。サギ師、いかさま師、ペテン師となると、ひとをだますという意味合いがハッキリ出ています。

薬で命が救われたとか言う人がいるが、本当か? 勝手に有難がっているが、ほんとうは自然に治っただけではないのか? 恋煩いに沈む娘も病人扱いするのが医者というものぞと、医者を大いに諷刺した人に、フランスの喜劇王モリエールがいます。

《ドン・ジュアン それで薬は効いたのか?

スガナレル いいえ、患者は、死にました。

ドン・ジュアン 大した効き目だ!》

さて、医者のことを英語では「ドクター」といいますが、これは元々のラテン語からは「教える人」という意味だそうです。ひとに物を教える立場にある者は、周りから「先生、先生」とちやほやされがちであります。しかし、つとに孟子が「人の患は、好んで人の師たらんとするにあり」と喝破しているように、天狗になってはいけません。医者はこれを自戒の言葉とすべきでしょう。つぎのような日本の川柳もあります。

《先生とよばれるほどの馬鹿でなし》

モリエールはけなしましたが、医学それ自体は、法学や政治学などのやくざな学問に比べれば、遥かに素晴らしい学問だと思います。美しさへの感性や、疑問をもつことを大事にする学問だからです。血液病学で一例を挙げれば、血液病学に進んだ医者には、白血病細胞の病理標本に美を見出した人が少なくないようです。また、二十数年前、急性前骨髄球性白血病の治療にビタミンAが効くという中国の論文に世界中の医者が半信半疑でしたが、実際に試したら本当だったので、世界中にその治療法が広まったというのも、医学ならではの自由さでしょう。政治の世界ではとてもこうはいきません。いつまで経っても、浅ましいまでに、いがみあっています。

医療の出発点は、なんといっても救急医療にあります。人がイキナリ倒れれば、ふつうの人だと怖気づいてしまいます。見て見なかったふりをしてしまうかも知れません。そんな中でもすぐに病人のそばに駆け寄って手当をするのには、勇気が要ります。キリスト教は、そんな勇気ある人を「よきサマリアびと」と呼んで、その徳を称えました。勇気という徳は、古来より、アリストテレスも孟子も共に顕彰してきた大事な徳目です。現代、勇気という言葉はあまり流行りません。しかし、勇気あるみなさんの中から、一人でも二人でも医者をめざす人が出てくれれば、演者には望外の喜びです。(おわり)

                *               *

医者になると、講演を頼まれることが存外多い。みぎは、小学生、中学生むけに行った講演の一部要旨である。さくら咲く新学期、わたくしなりの「学問ノススメ」を書いてみた。(平成24年4月記)

 

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