わたしにとっての贅沢

…梅は咲きましたよ。(笑)

室内の暖気にうながされてじゃかじゃか咲きました!

昨日、ある雑誌を手にとりましたならば、リゾートホテルの特集で、来日する外国人旅行者の需要を見込んで(これを「インバウンド」というのだそうです。反対に日本人が海外旅行に出るのは「アウトバウンド」)、オキナワとニセコを中心に、1泊数十万円の高級リゾートホテルがどんどん建設され、局所的なバブル経済が発生しているのだとか。

日本にホンモノの贅沢施設が少ないことは、小西美術工藝社の社長さん(デイビッド・アトキンソン氏)も訴えておられていて、世界の富裕層の存在を頭に入れていない観光政策では、話にならぬとこれは卓見だと思います。富裕層が泊まるホテルは一泊数百万円単位なので、そういうレベルの施設が絶無に近い日本には、富裕層が来日してお金を落としてくれるわけがないのですね。

私の考える贅沢は、俗なところでは、きもちのいい春の日に、きものを着て、祇園の南側にふらふら足を運んで、佳肴を箸でつつきながら、美酒を頂くとゆう程度ですが、精神的なところでは、…こども時代の思い出に触れる、ということなんですね。

たとえば、雨の匂いとか、空のいろ、流れるくもの形とか、寒い日の朝の水たまりに張った薄氷とか、フッと子供時代に感じたはずの「感覚」を呼覚まされる一瞬です。

そうした「記憶」がよみがえるとき、私は、なにものにも替えがたい幸福を感じます。

大女優の高峰秀子が、子役時代の映画撮影で、「冬の朝の匂い」をセリフに足した山本嘉次郎監督に、「この人は子供の味方だ」と直感したと自伝に書き記していますが(『わたしの渡世日記』上巻「鬼千匹」)、我が意をえた感じがします。

けさは、じつは転んだのですね。

ぼけの兆候でなければよいのですが、自宅から高野川にまでくだる坂道で、ころんで、みごと前をついた両手をすりむきました。

しかし、私はうれしかったのです。こどもの時間が、少時とはいえ、帰ってきてくれたからです。両の手の掌の痛み、これが私にとっては、何よりの「贅沢」です。

ラグジャラスなソファやベット、ここちよいおもてなし、風光明媚な景色とゆっくり流れる時間、とかいった、ソフトなリゾートサービスなんか、結句つまらないな、と思った今朝でした。

ブラッサイアも、わかわかしい新芽が萌え出てきました!

 

 

 

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